連綿と続く時計の伝統に
今のTOKYOを映した
“最先端の古典“
「時間」は相対的である。
「時刻」はGPSの搭載されたスマートフォンで
確認されるようになり、実用品としての時計の
価値が落ちたことは客観的事実だ。
最近は若いヒトに限らず
時計を身に付けないという人も多い。
では、時計はもはや必要のない存在なのだろうか?
我々はNoと答えたい。
自らの腕に巻いた時計で時間を見るという「身体体験」と単にスマートフォンで所与の時刻を確認する「作業」とでは「時間」との関わり方の次元が異なる。
時計はいわば時間のセンサーだ。
センサーが異なれば対象が同一であっても
センシングの仕方は異なる。
これは今日急速に広まりつつあるIoTと同じ文脈である。
そして、身体体験/センシングの質は
時計と身体との有機的繋がりにより規定される。
ファッションと同じく時計も1種の身体加工なのである。
ハードウェア(=モノ)として上質で尚且つファッションとして楽しめる時計を適正な価格で提供するためにBLASTACLEを立ち上げた。
モノづくりの観点では、
高級時計で使われるような素材や造りを
多くの人に手の届きやすい価格帯で実現している。
デザインに関しても、腕時計の文脈や作法は踏襲しつつ、
TOKYOを拠点とするブランドとして
「今」を落とし込んでいる。
相対的である「時間」には必ず基準が必要だ。
BLASTACLEの時計を通じて
「時間」を自分なりに解釈するヒトが増えれば
幸甚である。